2012年9月30日日曜日

表現について

ここのところ、家族の誰かかしらが 早起きで(基本うちはみんな早起きなのだけど)朝に、ひとりゆっくりとPCに向かう・・・という時間がなかなか取りにくかったりする。
「別に 昼 でもいいではないか」という声が、聞こえてくる気もするが、「朝」という時間が、私にとっては大事なのだ。

寝起きにすぐ、自分の心と向き合うための時間。(夜は、寝る前に心の中で 少しだけむきあうけど、なにせすぐに寝てしまうので・・・笑)
これまでは つれずれなるまま、ノートに書き綴っていたのだけれど、人生、何があるかわからないからね。ある日、ぽっくり私がいなくなった後で、家族の目にそのノートが触れるのは嫌だな・・・と。別に たいした事が書いてあるわけでも ないのだけれど (このブログにしても、しかり)

自分の心情の深い部分を見せられる相手って、そうそうはいないと思うのだけどなぁ。
たとえそれが 家族や親友 であったとしても。
リアルなつながりのない人になら、私はかなり・・・いや、多分ほぼ100%出せるのだが。それはそれで、不思議な気もするのだけど。何でだろう?って考えた時に、多分、「内容を気にしないで書ける」という自由さが、あるのだと思う。 制限された中で何かを表現するくらいなら、それは表に出す意味がないのだ。私にとっては。

身近な人は、もしも私がものすごく深い闇に囚われていたら、手を差し伸べてくれようとするかもしれない。でも、多分私はそんなとき、黙ってそばにいてもらえたら、それでいいのだと思う。壁は自力で登りたいのだ。たくさんのことを学びながら。どうしても手に負えないときには、「桶は桶や」に任せて。

「ひとりで悩まないで」という言葉は、そうだと思う。みんながみんな ロッククライミング を好むわけではないのだから。自分に合った方法を模索していけばいいのだと思う。道しるべは、必ずあるのだから。

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