「100万回生きたねこ」 という絵本がある。
愛されて、大事にたくさんの人に育てられても、何度も何度も生まれ変わって、猫自身は飼い主の
事なんてまるで愛していなくって。自分が死んでいく事もなんとも思わなくって・・・
でも、ある時最愛の猫に出逢って、子供が生まれ、やがて伴侶が息を引き取った後、悲しみにくれ
ながら自分も息を引き取り、もう二度と生まれ変わる事はありませんでした・・・ってお話。
その話に対しての解釈の仕方が、人それぞれだということに実は驚いている。
たくさんの愛を受けながらも、それが自分の求めるものでないと、意味はないのかな?
でも、愛される事 と 愛する事 は別物なのかもしれない。
ある人が、この絵本を「自分をようやく好きになれて、死んでいった猫」と評していたけど。
誰かを愛するって、自分を愛する事に通じるんだろうか?
確かに、この猫は長い間誰も愛さなかった時間、きっと自分のことも愛していなかったんだろうな。
卵が先か、ニワトリが先か・・・みたいに、誰かを愛する事と自分を愛する事はつながっているのだ
ろうか。自分を愛せないものは他人も愛せないって、よく言われるけど。
そうすると、この猫は伴侶と出会って愛する事で、初めて自分も愛した事になるんだな。
空っぽな心のままで、何度も何度も生まれ変わっても、たった一度満たされる事にはかなわない。
主体はあくまでも自分なのだろう。
どんな環境にいても、自分が動かなければ何も始まる事はない。
それは私自身が、今痛いほど痛感している。
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